今を遡ること一週間前。

カノンは珍しく、考え事をしながら十二宮の階段を上に昇っていた。
目指す宮は一部で『別宅』だの『新居』だのからかい混じりに言われている天蠍宮ではなく、その更に3つ上に立つ宝瓶宮だった。宝瓶宮の主・カミュは、天蠍宮の主・ミロの親友である。

宝瓶宮の通路に入った途端、ヒンヤリとした冷気がカノンを襲い、カノンは思わず身震いをした。この宮は守護するカミュの聖闘士としての特性の都合上、常にある一定の冷気に覆われている。手っ取り早く言えば、宝瓶宮の中は一年中真冬と同じようなものなのである。

容赦なく襲い来る冷気に身を縮めつつ、カノンは足早に私室ドアの前に立った。そして、これまた急いでドアをノックする。私室の中は一応人間が快適に暮らせる温度に保たれているので、まずは一刻も早く私室の中に入りたかったのだ。

間もなく、私室のドアが開き、中からカミュが顔を出した。

「カノン……珍しいですね、貴方1人ですか?」

カミュが珍しいものでも見るかのように、軽く目を瞠った。カノンがここを訪れるときは大抵ミロか、極々たまにだがサガが一緒のことが殆どだ。

「ああ、今日はオレ1人。ちょっとお前に用事があるんだけどさ、とにかく中に入れてくれ〜、寒ぃよ」

カノンが情けない声をあげると、カミュは相変わらずろくに表情も崩さぬまま、私室のドアを大きく開けてカノンを招き入れた。

中に入り、これまた足早にリビングに行くと、既に先客が居た。隣宮である磨羯宮の主・シュラである。

「おう、何だお前来てたのか」

シュラに声を掛けながら、カノンはソファに腰をかける。カミュはそのまま、キッチンの方へ向かった。

「何だじゃねえよ。オレがここに居たって、おかしいことは何もないだろう」

シュラはカミュの恋人である。よって、ここにシュラが居ても、何らおかしことはない。

「それよりお前こそ珍しいじゃないか。ミロはどうした?」

「あいつ、今日は仕事」

軽くそう答えたところへ、カミュがカフェ・オレを持ってきた。サンキュー!とそれを受け取って、カノンは美味しそうにそれを啜る。ラム酒がほんのり利いているカミュのカフェ・オレは、正に絶品だった。

「私に用事とは何ですか?、カノン」

シュラの隣に腰を下ろして、カミュが多少改まった態度でカノンに尋ねる。

「ああ、いや、実はさぁ……ミロのことなんだけど」

「……ミロ、ですか?。ミロがまた何か貴方を困らすようなことをしたんですか?」

カミュの表情が、僅かに動いた。ミロの性格を誰よりもよく知るカミュは、またミロが彼特有の我が侭か何かを言い張って、カノンを困らせてでもいるのかと、つい身構えてしまったのだ。

「いや、そうじゃない。ホラ、あいつさ……その、来週誕生日じゃん?」

カノンはカミュの心配にあっさり首を振り、用件を切り出した。

「ああ、そっか、あいつ蠍座だもんなぁ〜。何日だったっけ?」

「11月8日だ」

シュラが呟くように言った問いに、さり気なくカミュが答える。

「それがどうかしましたか?。宴会の相談ですか?」

「いや、そうじゃなくてさ……その、プレゼント……でちょっと悩んでてな。お前、どうする?」

カノンから誕生日プレゼントの相談をされるとは思ってもいなかったカミュは、さすがにビックリしたように目を丸くした。隣のシュラもご同様である。2人は一旦顔を見合わせてから

「どうする……と言いますと?」

再びカノンの方へ視線を戻し、カミュがもう一度カノンに聞き返す。

「いや、お前は何を贈るつもりなのかなぁ〜って思ってさ。お前ならミロの欲しいもの知ってるだろうし、参考にしようかと思って」

「おいおい、お前一応ミロの恋人だろう?。何情けないこと言ってんだ、ミロの欲しがってるモンも知らないのかよ?!」

あからさまに呆れたようにそう言ったのは、シュラである。

「バカにすんな!。そりゃ、知って……るものもあるけどよ、何つーか、カミュとダブったらヤダし……とか、オレにはオレの思うところがあんだよ!」

少々苦し紛れの言い訳だったが、カノンにしてみれば嘘を言っているわけではない。ミロが欲しがっているものは、一応いくつかは知っている。ゲームキューブとかデジカメとか、エアジョーダン1の復刻版とか、マウンテンバイクとか、オメガのクロノクロスとかetc。だが、どうもそれも自分が贈るには没個性のような気がしてならないカノンは、ミロと一番近しい存在であるカミュのところへ、言わば偵察に来たのであった。

「私達はゲームキューブを贈るつもりです。一緒にソフトを数本……」

「私達?」

カミュの一人称部分を聞き止めてカノンは僅かに眉を寄せ、そのままシュラの方に視線を移した。

「てことは、お前も一緒ってことか?」

「そう言うこと」

当然、と言った感じでシュラが答える。ついぞ今までミロの誕生日のことなど忘れていたわりには、結構抜け目のないシュラであった。

「じゃ、ゲームキューブは外しだな〜」

別に真剣にそれを贈ろうと考えていたわけでもないので、カノンは軽くそう呟くと、さっさと自分の中のリストからゲームキューブを外した。

「別にお前は悩む必要なんかないじゃないか」

意外そうにシュラがカノンに言う。

「何で?」

「お前にしか贈れない、最高のプレゼントがあるだろう?」

シュラがニヤッと意味あり気に唇の端をつり上げた。

「……頭にリボン付けて、オレ自身をプレゼントにしろ、なんて下らねえこと言ったら殴るぞ」

シュラの表情で彼の言いたいことがわかったカノンは、嫌そうに表情を歪めて憮然とした。

「何だ、それが一番ミロが喜ぶと思うけどなぁ〜」

冗談混じりの口調でシュラが更に言うと、カノンはますます表情を険悪にしてシュラを睨みつけた。

「アホか!。今更オレをプレゼントにしたって、何の意味もねーじゃんか」

呆れたカノンは吐き捨てるように言ったが、それを聞いたシュラは目を丸くしてカノンを凝視した。そして何となしにカミュと顔を見合わせる。

「……ごちそうさま……」

直後、思わず口をついて出た言葉はそれであった。

カノンの方は全く無意識だが、それはつまりとっくの昔に自分はミロのもの、と言ってるも同然なのである。既にミロのものとなっている自分を、今更贈ったところで意味はない……と言うことだ。カノンは何気なく言ったに過ぎないが、カミュとシュラには惚気以外の何物にも聞こえない言葉であった。

「何が?」

シュラのその一言の意味がわからず、カノンは怪訝そうにシュラを見返したが、シュラは小さく肩を竦めたきり、それ以上は何も言わなかった。

そんなシュラの様子にカノンは不審気にちょっとだけ眉を寄せたものの、すぐにそんなことを意識の外に飛ばしてしまうと、どうしよっかなぁ〜、と1人でブツブツ呟きながら再び頭を悩ませ始めたのであった。






結局さしたる収穫もないまま、カノンは宝瓶宮を後にした。

「あれ?、カノン」

私室を出たところで、能天気な声が自分の名を呼んだ。振り向くまでもなく声の主はわかったが、シカトするわけにもいかないので渋々声の方向へ振り向く。そこには仕事帰りであるらしいアイオロスが、ニコニコと緊張感のない(ようにカノンには見える)笑顔を浮かべて立っていた。

「どうした?。お前が1人で宝瓶宮に来てるなんて、珍しいこともあるじゃないか」

ミロとはつい今し方教皇宮で顔を合わせたばかりのアイオロスは、当然カノンがミロを伴ってここに来ているわけではないことを知っていた。

「オレだって、個人的にカミュに用事があることもあるさ」

素っ気無くそう答えて、カノンはさっさと歩きだした。

「お、おい、カノン待てよ!」

慌ててアイオロスはカノンを追い、すぐに横に並んだ。

「何だよ?」

嫌そうにカノンがアイオロスを振り返ると、

「そうすげなくするなよ。どうせ方向は一緒なんだ。人馬宮まで一緒に帰ろうぜ」

アイオロスはカノンのつれない態度を気にする風でもなく、勝手にカノンと並んで歩きだした。子供じゃあるまいし、何の因果でこいつと仲良く肩並べて帰らなきゃいけないんだと思いつつ、この状況では無下に断ることも出来ないので、カノンは溜息を1つついてそのまま黙って諦めることにした。全く、タイミングの悪いときに厄介な人間と出くわしてしまったものである。今日はツイてないなぁ、と、カノンは思っていた。

「ところでウチの兄貴は?」

だがここに来て、ふとアイオロスが1人であることにカノンは疑問を抱いた。アイオロスと兄・サガは共に教皇補佐と言う同じ職務に就いている。どちらかが休みであるとか、出張等で不在であるとか言うような場合を除いては、大抵同じ時間に出勤し、一緒に退社してくるのが常だ。それなのに今日はアイオロス1人とは、自分がミロ抜きで宝瓶宮を訪れていたのと同じくらい珍しいことである。サガは間違いなく今日も出勤しているはずだし、となるとアイオロスよりも先に帰ったのであろうか?。

「ん〜、サガか?。何か知らないけど、話があるからって教皇に呼ばれてな」

「教皇に?」

「ああ。話が終わるまで待ってるつもりだったんだけど、教皇が先に帰れって言うから仕方なく一足先に帰ってきたんだ」

アイオロスの口調は非常に不満そうだった。例え相手が教皇とは言え、サガと2人きりの時間を邪魔されたのが悔しいらしい。

「ふぅ〜ん……」

気のない返事をカノンは返した。何となく、教皇の用件の見当がついたからだ。どうせ早くアイオロスと結婚して、共に教皇職を継げとでもサガにしつこく言っているに違いない。

「それはそうと、お前もしかしてミロのことでカミュんとこに来てたのか?」

「えっ?」

唐突に話題を最初に戻され、しかも見事に図星をつかれ、カノンは不意をつかれて短く声を上げた。

「何で?」

「いや、それ以外に理由が見当たらないからさ。もうすぐミロの誕生日だし、そのことじゃないのか?」

更に的確に図星を突かれ、カノンは思わず鼻白んだ。

「……お前、ミロの誕生日なんて覚えてたのかよ?」

少しの間の後に、カノンは頷く代りにアイオロスにそう言って返した。

「ああ、一応な。特にミロと私は生まれ月が一緒だし」

「ふぅ〜ん、アイオロスが覚えてるのって、サガのことだけかと思ってたけどな」

「そんなことはないぞ、全員の誕生日をちゃんと覚えてる!。無論、カノンの誕生日だって覚えているぞ」

「サガの誕生日=オレの誕生日なんだから、お前が覚えてんのは当然だろ」

冷たく言い放たれて、今度はアイオロスが返す言葉に詰まった。

「まぁ、それは置いといて……」

アイオロスはわざとらしく咳払いをして、これまたわざとらしく話題をミロの方へと戻した。

「で、お前ミロの誕生日にはどうするつもりなんだ?」

「どうするつもりって?」

「プレゼントとか、もう決めてるのか?」

アイオロスに聞かれ、カノンはまた押し黙った。それを決めあぐねているから、カミュのところへ行ったんだ……とは、さすがに言えなかった。

「もしかして、カミュと一緒に何か贈ろうとか考えてんのか?。それはダメだぞ、カノン!。他の人間ならいざ知らず、お前はダメだ!」

「バカ!、勝手に決めてんじゃねぇ!。誰もそんなこと言ってねぇだろが」

1人で先走って話を進めるアイオロスに向かって、カノンは思わず声を張り上げた。

「同じモンやっちまったら意味ねえから、カミュに何をやるつもりなんだって、聞きに行っただけだよ!」

「何だ、そうか」

あっさりと納得して、アイオロスはケロッとした顔で頷いた。その変わり身の早さに、カノンは脱力するとともに軽い頭痛を覚えた。

「で?、大丈夫だったのか?」

「何が?」

「だから、お前がプレゼントしようとしてた物と、カミュのプレゼントはダブってなかったのかってことさ」

三度アイオロスに聞き返され、カノンはまたもや痛いところを突かれることとなった。

「て言うか、オレ、まだ決めてねーから……」

カノンが小声でボソボソと答えると、アイオロスは呆れたように目を瞠ってカノンを凝視した。

「お前も随分暢気だな……」

「まだ1週間もあんじゃねえか。今から決めたって、遅くはない!」

「まぁ、それはそうだけど……」

曖昧気味に言って、アイオロスは苦笑した。直後、何かを思い出したように表情を動かしたアイオロスは、十数秒の間を置いた後に、ややかしこまって再び口を開いた。

「なぁ、カノン。1つ、オレにいい案があるんだが……」

「いい案?」

カノンがそれを受けて、訝しげにアイオロスを見た。

「ああ、これはお前以外の人間がやってもまったく意味のないことなんだ」

「……お前もシュラと同じこと言う気か?」

思いっきりうんざりした顔で、カノンはアイオロスを睨む。

「シュラと同じ?」

「頭にリボン付けて、自分で自分をプレゼントしろ、とでも言いたいんだろが。却下!」

完璧に決めつけて言うと、カノンはアイオロスをあしらうように片手をひらひらと振った。

「何言ってんだ?、お前は。今更お前にリボンつけてミロにやったところで、何の意味もないだろう。ウエディングドレス着せて、嫁にやるってんならともかく……」

とんでもないことをしれっと言われ、カノンはたじろいだ。

「だっ、誰が嫁だ!」

「いずれはそうなるとして、来週じゃまだちょっと早すぎるからな。私としてはそれもいいとは思うのだが、サガがまだお前を手放したくないようなんでな」

アイオロスはもうすっかりカノンの義兄気取りである。その態度がカノンには気に入らないことこの上なかったのだが、文句を言おうと口を開きかけたところでいきなりアイオロスがくるっとカノンに向き直ったので、驚いてカノンは口を噤んでしまったのである。

「そんなことじゃなくてだな、100%確実に喜ぶプレゼントがあるんだ」

「???……だから何なんだよ?、一体」

カノンは瞬く間に先刻の会話を忘れ、疑わしげな目を向けつつもアイオロスに言葉の先を促した。普段のカノンであれば、素直に耳など貸さないところだが、今回ばかりはさすがに事情が違う。さっきの言葉とは裏腹に、カノンも少なからず焦りは覚えていたのだ。それがいつもとは微妙に違う態度を、カノンに取らせる遠因になっていた。

「お前、誕生日の朝ミロに朝飯作ってやれ」

はあぁぁ〜?!

だがアイオロスの口から発せられたその予想外の言葉に、カノンは反射的に素っ頓狂な叫び声を上げていた。

「だから、ミロに朝飯作ってやれ」

アイオロスがそう繰り返すと、カノンは思いっきり嫌そうに眉間を寄せた。

「誕生日と朝飯と、何の関係があるんだ!」

少しはマシな答えが得られるかと期待していたカノンは拍子抜けしたが、そもそもアイオロスなんぞにほんの僅かでも期待した自分がバカだったのだと思い直した。

「まぁ、聞けよ。ミロがな、私に言ってたことがあるんだ。一度でいいからお前の作った朝飯を食ってみたいって」

「はぁ?!」

「お前、ミロんとこ泊まっても、ミロより早く起きたことないんだってな。ミロ、言ってたぞ。お前に起こしてもらいたい、そしてお前が作ってくれた朝飯を食いたいって」

アイオロスの口調に説教めいた響きを感じ取り、カノンは憮然とした。

「……何でアイオロスがそんなこと知ってんだよ?」

そして少しの間の後、憮然としたままカノンはアイオロスに聞き返した。

「まぁ、私だってサガ同様、ミロ達の兄貴代わりっつーか親代わりみたいなモンなんだ。たまに私のところにだって相談事に来ることもあるのさ」

まさか自分がサガと過ごした翌朝のことをミロが聞きに来たからだとは言えなかったアイオロスは、上手く理由を誤魔化して適当に説明をした。

「な?、だからさ、誕生日の朝にはお前がミロより早く起きて、朝飯作って、でミロを起こしてやれ。それがあいつの望みを叶えてやることになるんだから、最高のプレゼントじゃないか!」

正に名案!とでも言いたげなアイオロスの様子を、カノンは面白くなさそうな顔でじっと見ていたが、

「……別に朝飯なんか……サガが作ってくれるし……」

やがて不満げに口を尖らせて、ブツブツと文句を言った。すると、

「ダメダメ、こればっかりはサガじゃダメなんだ。お前じゃなきゃ意味ないの!。だってそうだろう?、ミロの恋人はお前なんだから!」

いきなりアイオロスにガシッと両肩を掴まれたカノンは、逃げる間もなく真正面間近にまで顔を寄せられ、思いっきりそう力説された。

「いいか、カノン、プレゼントってのは物だけじゃないんだ。どんな高価なものにも代えがたい、大切な気持ちってのがあるんだぞ。わかるな?。これはお前にしかできないことなんだ。せめて誕生日の朝くらい、あいつのささやかな願いを叶えてやれよ、なっ?」

「う……うん……」

アイオロスの言い知れぬ迫力に押され、反射的にカノンは頷きを返してしまっていた。

「よし!これで決まりだ!!。ミロ、きっと喜ぶぞぉ〜」

カノンが頷いたのを確認すると、アイオロスはカノンから手を離し、更に足取りを軽くして階段を下りていった。気付けば、人馬宮はもう目の前であった。

「あ、そうそう、ミロ起こしに行くときには、モーニングコーヒーを忘れずに持っていくんだぞ!」

アイオロスは別れ際にカノンにそう言い置くと、手を振って私室の中へと入っていった。わけのわからないうちに事態が奇妙な方向に転んでしまったことに首を傾げるカノンであったが、ミロがそれを望んでいるなら仕方ない……と、アイオロスの案に乗る方向で決意を固め、諦めにも似た溜息を1つ漏らしてから双児宮への帰路へ着いた。


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