「サガ、これ例のヤツ」
身支度を整えて自室からリビングに戻って来たサガの目の前に、オレは小さな紙袋を差し出した。
オレの指先に引っかかってぶら下がっているそれを見たサガは申し訳なさそうな、それでいて安堵したような表情を浮かべると、やや決まりが悪そうな様子でオレの手からそれを受け取り、
「ありがとう」
礼を言いながら、小さく頭を下げた。
オレがサガに渡したその紙袋の中身、それは綺麗なラッピングを施した小さな箱だ。
そしてその箱の中にはオレお手製のチョコレートブラウニーが入っている。味も見た目もパーフェクトな自信作だ。
中身を作ったのもオレなら、外身を綺麗にラッピングしたのももちろんオレ。
自分で言うのも何だが、実はオレは手先が器用でこういうのは得意中の得意。
そう言うタイプには見えないらしくて、最初は大抵驚かれるけどな。
それはそれとして、何でオレがその自慢のお手製チョコレートブラウニーに綺麗なラッピングをしてサガに渡したかと言うと、今日が2月14日、そうバレンタインデーだからだ。
とは言っても別にオレからサガへの愛のプレゼントというわけではもちろんなくて、これは間もなくサガの手からアイオロスへ贈られる予定の物なんだ。
誤解のないよう最初に言っておくが、オレがサガにアイオロスへのプレゼントの仲介を頼んだというわけではない! 決してない! 断じてない!。
これはオレがサガに頼まれてというか、サガに拝み倒されて作っただけの物で、アイオロスには『サガの手作り』って名目で渡ることになってる。
手っ取り早く言うと、オレがサガの代わりにアイオロスへのプレゼントを手作りしたわけである。
何でオレがサガの代わりにこんな物を作る羽目になったかというと、事の発端は一昨日アイオロスからサガに来たお願いメールだった。
そのメールの内容を要約すると、
『今年のバレンタインにはサガの手作りチョコレートが欲しい。だから作ってね(はぁと)』
ってことだったそうだが、そんなお願いをされたサガはメールを呼んで文字通り頭を抱えたそうだ。
何故かと言うと、手作りのチョコレートなんて頼まれたところでサガにそれを作るのは到底無理だからである。
周りからは頭がよく、何でも器用にそつなくこなす――どころか出来ないことはないとすら思われているサガだが、確かに頭は飛び抜けていいんだけど実は手先はお世辞にも器用とは言えない。はっきり不器用と言っていいレベルだ。
幸か不幸かそういう弱点に類するものは本人が巧妙に隠しているので周りに気付かれていないだけで、細やかな手順と手先の器用さを問われる菓子作りなんてとてもじゃないが無理なんだ。
そんなサガとは反対に、オレは先にも言ったように手先が器用。自慢じゃないが、菓子作りも料理も超得意。
サガが神経質でオレが割と大雑把な性格なせいか逆に思われることの方が多いんだけど、10歳にも満たぬ子供の頃から黄金聖闘士としてチヤホヤされお世話様係がくっついてたサガと、弱冠5歳の頃から長らく一人暮らしをして来たオレ、どちらが家事の腕前が上かなんて考えるまでもなく簡単に出る答えなんだけどね……。
周りの認識はともかくとして、サガ自身は自分の腕前が如何ほどのものかちゃんと自覚は出来てるので、当然自分にそんな物は作れないということはわかっている。
なのでサガはアイオロスから件のメールをもらった後、悩みに悩んで悩み抜いた挙げ句、オレに代わりに作ってくれと頭を下げたというワケ。
突然そんなことを頼まれて頭下げられたオレも正直かなり面食らったんだが、それはそれとしてアイオロスの野郎が何でアイオロスがサガに『手作りチョコレート』なんてモンを要求して来たのか、その経緯が激しく気になった。
アイオロスは食欲魔人ではないし、びっくりするくらい物欲もない。
ていうか、あいつの『欲』と名のつくものは全てサガに向いてるとしか思えないくらい、サガ以外の物事に対して淡白だ。
なのでまぁ、アイオロスがサガの手作りを欲しがる気持ち自体はわからないでもないんだが、オレが疑問なのはそこで何故ピンポイントで『チョコレート』なのかってことなんだよな。
単純に考えれば、重要なのはサガが自分の為に何かを作ってくれるという行為そのものであって、物は何でもいいんじゃないかと思うんだが――。
ぶっちゃけサガの代わりにチョコレート菓子を作ること自体は構わないんだが、その疑問が解消されないと何となくスッキリしないので、オレはその理由をストレートにサガに聞いてみた。
サガの方もこれに関しては別に隠す必要はなかったようですんなり話してくれたんだが、その原因はアイオロスが先週仕事で行って来た日本にあったようだ。
何でも日本のバレンタインデーは、女性が好きな男性にチョコレートを贈って愛を告白する日ということになっているそうで、アイオロスがピンポイントでチョコレートを指定した理由はどうやらそこにあったらしい。
女性から男性限定かよ!? とオレはまずそこでビックリしたんだが、それが日本流のバレンタインなんだそうだ。
愛を告白するのに何故チョコレートなのかってそこも不思議なんだが、元々は日本のとある製菓会社の陰謀から始まったとか何とかいう話で、それが上手く当たって定着したらしい。
そしてその慣習がそれなりの年月が経つうちに微妙に様変わりして来て、昨今では好きな男に告白する目的以外にも、義理チョコやら友チョコなんて慣習まで生まれてしまっているという話だった。
オレが知ってるバレンタインと違いがありすぎて、しかもそのあまりのカオスっぷりに話を聞いててわけがわからなくなったんだが、要するにそういう慣習があるが為にただチョコレートを贈っただけではもらった側が義理なのか本気なのか判断がつきかねるので、本命、即ち愛を告白したい相手には何かしらの付加価値をつけて差別化をするってのが定番なんだそうだ。
で、『手作り』もその付加価値の一つになるんだと。
とまぁ、ここまで聞いた時点でオレも大体の察しはついたんだが、案の定アイオロスは『手作りチョコをもらえる人間=特別な相手(本命)』という単純解釈をしてサガに手作りのチョコレートをねだって来たらしい。
言うまでもなくサガは女ではないし、それより以前にここは日本じゃないんだからそんなモンもらっても何が変わるってわけでもないんだが、まったくもって単純と言おうか何と言おうか、そんな簡単に影響されて来んなとオレは呆れずにはおれなかった。
人前では素っ気ない態度を取ることが多いが、実はアイオロスにべた惚れであいつの『お願い』にはとことん弱いこのバカ兄貴……いやお兄様は、出来ないことがわかってるくせに断り切れずに安請け合いして来て、結局自分の首を絞めてるんだから世話はない。
作れないなら作れないとはっきり断れば済んだ話なのに、断るとなると今度は無駄に高いプライドが邪魔をして言い出せなかったらしい。
他の人間ならともかくアイオロスには隠してたっていずれバレるとオレは思うんだが、どうやら先のことより今の面子を守る方がサガには大事みたいだ。
ていうかそれより以前にいくら間に13年の空白の時があるとはいえ、サガが実は不器用で菓子作りなんか出来ないんだってことをアイオロスが知らないことにオレは少なからず驚いた。
他の人間ならともかく、あいつだけは知ってると思ってたんだけどな。何せサガとは幼なじみな上に、13歳の時から恋人付き合いしてたんだから。
まぁ当時は恋人の手料理云々なんて脳みそお花畑全開なことを言ってられる状況でもなかったし、それを知る機会そのものがなかっただろうから、仕方ないっちゃ仕方ないのかも知れないけどな。
サガの本音としてはオレに頭を下げるのも本当は嫌だったと思う。
サガは基本的に人に頭を下げることは嫌いだし、特にオレに対しては自分の方が兄貴ってプライドもあるから尚更で、絶対に頭を下げたくない相手No.1がオレであることに間違いはない。
今回はそのプライドとアイオロスの頼みを秤にかけて最終的に後者を取ったわけだが、サガの性格を考えるとそれって何気にすごいことだったりするんだけどな。
それはともかくとしてそういう経緯があるなら尚のこと、例え結果としてとんでもない物体が出来上がったとしても、サガ自身が手作りしなければ全くもって意味がないんじゃなかろうか。
別に作るのが嫌なわけでは決してないんだが、アイオロスにとっては『サガが』『愛情を込めて手作りしてくれました』っていうその過程が重要かつ大切なわけで、出来上がった物の完成度なんか二の次三の次だろうと思うんだが……。
例え出来上がりは完璧でも、オレが作った物じゃアイオロスへの愛情なんかこれっぽっちも入ってないんだから、はっきり言って市販品買ってんのと同じようなモンだ。
それじゃアイオロスの願いを聞いてやったことにはならないんじゃないの? 大事なのは過程>>>>>結果なんだから、どんなにヘタクソでもサガが作らなきゃ意味も価値もないだろう――と、当然の如くオレはサガにそう進言したんだが、当の本人はそんな完成度の低い物を渡すくらいなら最初から何も渡さない方がマシだとか何とか言って聞く耳持ちゃしねえ。
神経質で完璧主義(というよりこの場合は見栄っぱりと言った方が正解かも)なサガらしいと言えばらしいし、さっきも言ったように自分の実力を正確に認識出来てること自体は評価するが、何と言うか根本的な部分がずれてるとしか言いようがない。
ただまぁ、オレとしては正直サガに頭下げられて悪い気はしなかったし、貸しを作っておいて損もないので、結局こうしてお兄様の頼みを聞き入れて一肌脱いでやったわけだけどね。
せめてあと一週間くらいの時間的な余裕があれば一点集中スパルタ教育を施してサガ自身に何か作らせることも可能なんだが、言われたのが一昨日じゃ時間がなさ過ぎだ。一夜漬けでどうにかなるもんじゃないので、オレが全部やらざるを得なかったというわけだ。
こんなことを頼まれるのは今年だけで、来年にはコロッと忘れてるはずだから大丈夫とサガは言っていたが、果たしてそう上手くいくかな? と疑問に思わないでもない。
かなりの高確率で「美味しかったからまた作ってくれ」って言われるのがオチだと思うが、オレは言うべきことはちゃんと言ったし、その上でどうしてもとサガが言うから引き受けただけなので後の事はどうなろうと知らん。
サガからは「何でもいいからチョコレート菓子を作ってくれ」と言われたので、時間もあまりなかったってのもあって比較的簡単かつ手軽に作れて見栄えもして日持ちもするチョコレートブラウニーを作ることにした。
出来上がった物は自分で言うのもなんだが会心の出来で、オレ的にも満足。
作った本人ということになるサガにも食べさせてみたが、相当美味かったらしく大絶賛された。
これならアイオロスも喜ぶと言って、サガは改めてオレに礼を言いながら何度も頭を下げて嬉しそうに双児宮を出て行った。
こんなにサガに礼を言われて頭を下げられたのなんて多分生まれて初めてで、やっぱり悪い気はしなかったけど、でもそれもこれもみんなアイオロスの為にやってることなんだよな。
アイオロスの為なら意地も捨ててオレに頭を下げることも出来るんだと思うと、少々複雑な気がしないでもないけど……ま、いいか。
どうでもいいけどオレ達の慣習だとバレンタインってのは日本のようにどちらかが一方的にではなく、恋人同士が互いにプレゼントを贈り合うってのが普通なので、アイオロスもサガへのプレゼントを用意しているはずなんだが、まさかあいつも『本命』のサガの為に何か手作りしたのかね?。
サガ以上にアイオロスの方が不器用で、手作りなんかしようものならとんでもない物が出来そうだけどな。
今日は帰って来ないだろうから、明日さり気なくサガにアイオロスから何をもらったか聞いてみよう。